栃、信州街道、木地屋。水窪の山々が語ってくれたこと。
4月といえば、咲き乱れる桜と、若葉の季節。冬、凍るような信州からの北風「信州風」が吹いていた 最北の町・水窪にも、暖かな春風が優しく吹いています。
今回は、旧・水窪町の木「栃(とち)の木」に注目!栃の木、という名前を聞いてもピンとこない・・・でも、かの有名な絵本の題名になっている「モチモチの木」そのものだと知って 驚き!古くから お餅・保存食に加工され、人々の暮らしに寄り添ってきた木なんだって!
水窪には、静岡県最大級の栃の木があると聞き、地元NPO法人「山に生きる会」さんに ご案内いただきながら 栃の木を目指すことに。
細く傾斜のある道と、暖かな季節に元気になるヒルに注意しながら進みます。音もなく生き血を吸われるのは・・・まさに恐怖!
「湿った土・草の上じゃなくて、石の上で休むとヒルが来ないよ!」と教えていただき、慌てて避難・・・
山住神社に通じる道沿いから山に入り、アカクボ沢に向かって下ること15分。
ぽっかりと木立が空き、青空から差し込む光を浴びて、悠々と そびえる栃の木がありました。
樹齢 約600年、長い間 森の中に佇む中で、どんな世界を見てきたのか…もし できることなら、栃の木から お話を聞いてみたい!
水窪町には、他にも様々な場所に栃の木が!
たとえば、足の神様として信仰を集める「足神神社」近くの川沿いにも、大きな栃の木が佇んでいます。
雨宿りできちゃいそうな、大きな洞(うろ)が特徴で、おとぎ話の世界に来たような気持ちに!
信州・遠州・三河など 多く地域と交わり、豊かな文化を育む水窪。悠久の時を経て 水窪に寄り添い続ける「栃」は、まさに豊かな水窪カルチャーの生き証人。
ところで栃の木を探して山を歩く中、水窪の お隣さん・南信州(長野県南部)から続く「信州街道」の一部に到着。昔は多くの人々が この信州街道を使って、現在の長野県南部と浜松市天竜区を行き来したそう!
今に残る貴重な街道跡を眺めていると、お隣に祠がありました。近づいてみると、それは「木地屋」さんの お墓。
木地屋(きじや)さんとは、「ろくろ」等の道具を使い、お椀・お盆といった木工品を作る職人さんのことだそう。
木地屋さんは遠い昔、天皇から全国の「7合目より上」の木材を自由に伐採して良い権利を頂き、各地の山々を移動して暮らしていました。木材が豊富な地域には定住した方もおり、今も「ご先祖様は木地屋!」という方々がいらっしゃるとか!
昔、水窪の木々の恵みに触れ、旅の途中の木地屋さんが移り住んだのでしょうか?今も木地屋さんが眠る お墓は、地元のお母さん方が大切に お手入れされており、その思いやりに感銘を受けました。
水窪の山に鎮座する栃の木たち。遠い昔から今に続く信州街道と、木地屋さんが伝える歴史。
山が語ってくれる昔話は、忘れかけていた 暮らしの、そして自分自身のルーツ を運んできてくれる。